箱ふぐ日記

みんな ええようになったら ええなぁ

2018年2月第4週所感

以前からたまに考えてたんだけど、いつか私小説を書いてみたい。誰も読まなくていい。完全に自分のためだけのもの。

 

仏門に入ったり何かに入信することもありそうなんだけど、なんだかんだでやらない気がする。(托鉢しているお坊さんに相談したことはある。)

なぜか小さい頃から、お数珠を欲しがったりお仏壇にお参りするのは好きだった。

 

地下鉄サリン事件の後、オウム真理教がまだ盛んに布教活動してた頃も弱っていた。何もできなくてひたすら家で伏せていた。

街頭でオウムに勧誘された友人もいたその頃、なぜ私に勧誘が来ないのか不思議だった。神様でも悪魔でも何でも良いから、助けてくれる存在がいるならすがりたかったのに。

でも、外出する気力がないのが幸いしたのか、何にも入信しなかった。私の中に神がいないからかもしれない。

 

この時期はフィクションを受け付けられなかった。ひ弱な自分が目の当たりにした事実に打ちのめされて、人間の想像力が生み出すものが馬鹿馬鹿しいとしか感じられなかった。この時期のことは記憶が不鮮明だ。この時期のことは友人にも「え?何で覚えてないの?」と言われたりする。生存本能のようなものが、思い出すことを避けているような気もする。

 

たまに妄想小話を書くと、私の中の何かが成仏するような気持ちになる。でもそれは根本にあるものを小出しにしてるだけで、根本的な要素を無意識に避けているのかもしれない。

 

このまま思い出そうとしない方がいいのかもしれない。でも何かがくすぶってるような気配がある。