映画『怒り』感想
教授の音楽に飢えていた。
今年の始めに『母と暮らせば』は見たが、その後に公開された『レヴェナント』は不調で見に行けなかった(サントラは後日聞いた)。
中学2年生に坂本龍一ファンになって以来、最大の教授ロスに陥っていた。
そこで自分の復調とほぼ同時期に公開されたのが『怒り』だった。
『シン・ゴジラ』を見終えた後、映画自体への感慨に負けず劣らず大きかったのは、精神的にダメージを受けそうな映画を見に行けるようになったことの嬉しさだった。それまでは心を少しでも脅かしそうなものは、一切避けていた。
『シン・ゴジラ』を無事見られたことで安心と喜びと自信を得て、『怒り』を見に行けた。
見終わった直後、頬に残ってる涙を拭いてこの映画に登場した全員を抱きしめたくなった。
とにかく、「おとうちゃん!」と何度も繰り返す宮崎あおいの声が頭からはなれない。
三億円事件を新鮮な解釈で描いた、『初恋』の役柄から何て遠くまで来たんだろう。宮崎あおいファンとはとてもいえないが(一番よく見てるのは『少年メリケンサック』)、こんな宮崎あおいは今までになかったんじゃないかな?
ラース・フォン・トリアーは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以降の作品を「黄金の心三部作」と称していたが、今作での宮崎あおいにもそれに似たものを感じた。
宮崎あおい演じる愛子が、渡辺謙演じる父親・洋平に言い放つ「おとうちゃんは、あいこがあいこだから、幸せになれないとおもってるの?」という台詞がむちゃくちゃ刺さる。
恐らく愛子は軽度の知的障害か発達障害がある設定だ。愛子自身も「愛子みたいな人が普通の人と幸せになれるはずがない」と言ったりする。娘に甘い父洋平も、娘のハンディキャップを、甘やかしても許されうる条件として、自分に言い聞かせるように諦めている。
だからこそ、愛子が電車の中で真正面を力強く見て微笑む最後の表情が忘れられない。かなり体力を要する映画だが、あの顔を見るためにもう一度映画館に行きたい。
エンドロールで教授の音楽を浴びるように聞けたのは幸せだった。私の中では、これまで教授が手掛けた映画音楽の中でもかなりの名作だ。(サントラ買いました!)
でも、見終えた後はこの映画の熱量と含むものの重さに押しつぶされかけて、渇望していた教授の音楽には集中できなかった。
ただ、映画自体には疑問も残る。犯人の特徴として出てきた3つのホクロが、途中からうやむやになっている。力でねじ伏せるような映画だけど、感銘を受けただけに細かい欠点が気になってしまった。
確かめる為に原作の小説を買った。読み終えたら加筆するかも。分からない箇所、あやふやな箇所、映画と何が異なるかを確かめたい。
(気が向いたら原作読了後にまたここで書きたい。)