箱ふぐ日記

みんな ええようになったら ええなぁ

奇しくもまだ8月

※ネタバレを含みます。


今年4月からうつ病で休職し、5ヶ月近く経った。
数えてみれば心療内科の通院歴は15年ほどになるが、いまだに不調の来襲には毎回あたふたしてしまい、なかなか「よう!また来たな!」と余裕を持って迎えられない。

15年前の初診時は私にとって病気も苦痛も受けなければならない罰で、治療も回復も許されないと信じ込んでいた。病気とはいえ恐ろしい。
それに比べれば今回は病状も軽いし、これまでの経験で多少はやり過ごすコツも身に付いている。

通院と時間薬(服薬も欠かせないけど、時間薬の効能ははるかに絶大)のおかげで、7月辺りからようやく調子が上向き始め、凍りついていた思考も少しずつ生き返ってきた。

大島弓子の『8月に生まれる子供』について最近良く考える。
主人公は異常な速さで老化が進む奇病を患う大学生の女の子。認知症も進み、見当識も危うくなり怒りっぽくなっていく。

当然、家族や周囲の人達も困惑する。
通院途中の電車で席を譲られるのは同行の母親ではなく、老婆にしか見えないが実年齢は二十代の主人公。善意による気配りに娘も母親もショックを受ける。

治療法もなく病状は悪化し続け、主人公は知力、身体能力とも幼児並みになる。誰もが諦めかけたところで主人公は忘れたはずの単語を覚えたかのように発し、成長しているような変化が表れる

あくまで漫画だしファンタジーだけれど、この奇跡的な回復は主人公がそう望んだ意志があったからこそ生じたはずだ。
どん底としか思えなくなったら諦めるか、無駄でも足掻くかの2つどちらかしか選択肢はない。

子どもの頃から私のコンプレックスは「普通じゃない」、「十人並みに及ばない」と見なされることへの恐怖だった。
でもそのコンプレックスを裏付ける明確な根拠はないのに。

そのコンプレックスもあってか、今回の休養でいわゆる「病気持ち」のレッテルが医師や公的機関のお墨付きになったのは本当に恐ろしい。

今認識している恐怖は2つある。
仕事を筆頭に今まで通りには出来ないかもしれない恐怖と、ここまで怖がるほど病気持ちという属性を自分とは無縁だと特別視していた恐怖。

普通でありたい、十人並みでありたいという固執の副産物は、病気などによって私の頭の中で勝手に作り上げたその枠から外れた人への差別意識だった。

ただ、剥がれたメッキはどうしようもない。地金が見えたからといってメッキをし直すのも馬鹿げている。

恐怖はどうやっても恐怖でしかないけど不思議と清々しくもある。開き直れたからだろう。

15年以上前の成人式は不参加で、振り袖を着て記念写真を撮っただけだった。

もしかしたら今、高台からバンジージャンプするような成人の儀をやり終えかけてるのかもしれない。


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